わたしの心は知恵をもってわたしを導いているが、わたしは酒をもって自分の肉体を元気づけようと試みた。また、人の子は天が下でその短い一生の間、どんな事をしたら良いかを、見きわめるまでは、愚かな事をしようと試みた。
酒は人をあざける者とし、 濃い酒は人をあばれ者とする、 これに迷わされる者は無知である。
わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。
酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、
事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。
人はその短く、むなしい命の日を影のように送るのに、何が人のために善であるかを知ることができよう。だれがその身の後に、日の下に何があるであろうかを人に告げることができるか。
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
わたしは、心を転じて、物を知り、事を探り、知恵と道理を求めようとし、また悪の愚かなこと、愚痴の狂気であることを知ろうとした。
あなたがこれを執るのはよい、また彼から手を引いてはならない。神をかしこむ者は、このすべてからのがれ出るのである。
人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを、わたしは見た。
人がもし死ねば、また生きるでしょうか。 わたしはわが服役の諸日の間、 わが解放の来るまで待つでしょう。
こうしてアビガイルはナバルのもとにきたが、見よ、彼はその家で、王の酒宴のような酒宴を開いていた。ナバルは心に楽しみ、ひじょうに酔っていたので、アビガイルは明くる朝まで事の大小を問わず何をも彼に告げなかった。
ヤコブはパロに言った、「わたしの旅路のとしつきは、百三十年です。わたしのよわいの日はわずかで、ふしあわせで、わたしの先祖たちのよわいの日と旅路の日には及びません」。
しかし、ぶどうの木は彼らに言った、『わたしはどうして神と人とを喜ばせるわたしのぶどう酒を捨てて行って、もろもろの木を治めることができましょう』。
すなわち人の心を喜ばすぶどう酒、 その顔をつややかにする油、 人の心を強くするパンなどである。
見よ、わたしが見たところの善かつ美なる事は、神から賜わった短い一生の間、食い、飲み、かつ日の下で労するすべての労苦によって、楽しみを得る事である。これがその分だからである。
そこで、わたしは歓楽をたたえる。それは日の下では、人にとって、食い、飲み、楽しむよりほかに良い事はないからである。これこそは日の下で、神が賜わった命の日の間、その勤労によってその身に伴うものである。
食事は笑いのためになされ、 酒は命を楽しませる。 金銭はすべての事に応じる。